ファイナルファンタジーの正解とは?
初めに、私は「ファイナルファンタジー13」が好きである。
多分、シリーズで一番好きなタイトルだと思う。
ファイナルファンタジーは説明不要の国民的RPGである。
しかし、このファイナルファンタジー13は数あるシリーズ作品の中でも、特に好みの分かれる作品として有名だ。
何が本作をそうたらしめるのか。
これは本作の抱える以下の要素が原因である、と私は考える。
■ストーリーに専門用語が多い
■マップが一本道
■RPGの醍醐味の「街」がお店が存在しない
この三つでユーザーの不満お大いに刺激をしてしまったのではないだろうか。
こんなに面白いゲームなのに何がいけないのか、私個人の検知で申し訳ないが、少しまとめてみたいと思う。
まず、最初に、「専門用語が多い」という点に関して。
日頃からネットやゲームに触れる方はご存知だと思うが、「パルスのルシが~」というユーザーに対し説明不足な単語と世界観で構成された物語が終盤まで続く。
「なんだこれ、ライターの頭の中で完結してて全然わからん」というのも、実際遊んでみると感じる点ではあった。
その点はネットでも強く言われている点でもあって、私以外の多くの人たちも同じことを感じていたに違いない。
しかし、決して説明不足かと言われれば決してそんなことはなく、プレイヤーが後で物語を補完できるように、ゲーム内で辞典が用意されている。
これを参考にすれば、少しづつ物語にも慣れて、深くその世界観にも理解が生まれてくるハズだ。
まあ、テキストでの説明ということもあり、意外とユーザーはテキストを読まずに飛ばしてしまう傾向が強い。故に、「世界観」と「独特な単語」で、このゲームの評価を一蹴に伏してしまうのは非常にもったいない点である。
単語や世界観はゲームを構成する重要な要素にちがいないが、その点で説明の少ないゲームはほかにもあるし、それを売りにしているものもある。
今作が上記の要素でとやかく言われるのは、「ファイナルファンタジー」というある種、ユーザーの「期待」と「ブランド力」が常に大きくなってしまっている事が原因の一つとなっている為だ。
次に、「マップが一本道」ということに関して。
RPGとは一般的に、ひとつユーザーに世界が提供され、そこを舞台に冒険するイメージがあると思う。
マップ一つにおいても、東西南北に広がっているため、どこになにがあるのか、プレイヤーは町や村で得た情報を頼りに発見するカタルシスがある。
そこまでの道程は全くの自由選択ではないにせよ、プレイヤーは比較的自由に自分の考えを反映させて行動計画を練る楽しみがあるものだ。
しかし、今作はそれが全くと言っていいほど存在しない。
物語は章仕立てで、マップは物語を構成するいち要素にとどまり、プレイヤーは
「この先になにがあるのか」というこれまでのRPGに存在した楽しみを、ゲーム自体に取り上げられているのだ。
「あなたはこの道を行けばいいんです」という、メーカーに敷かれたレールの上を歩くのが今作といえば分かりやすいだろう。
そこに、プレイヤーの思考や計画が介入する余地はない。
広い開かれた世界を冒険できるはずだ、そう思って始めたプレイヤーはここでも面食らったに違いない。
プレイヤーがそこで感じたのは、ゲームに対する「閉鎖感」だったのだろう。
これに関しては私が強く感じたところでもあり、過去のファイナルファンタジーの提供してくれた冒険とはだいぶ違っていた。
挑戦的ではあったが、これまでシリーズを遊んでいた人たちからしたら受け入れがたかっただろう。
これに関して言えば、マップ移動に関する時間を最小限にし、今作の売りの一つである戦闘システムや映像美、音楽に没頭できる時間が増えるとも肯定的にとらえることができる。多分。
最後に「街やお店の存在が皆無」という点。
厳密にいえば、街やお店は存在する。存在はするのだ。
問題なのは、上記の要素の構成である。
今作の街は、存在はしているが、既存のRPGに多くある、「そこでの自由な行動」が大きく制限されている点にある。
今作の街は物語で立ち寄るだけで、自由にその中を移動したり、そこでの経済活動に介入したりということができない。
前述のとおり、今作のマップと動線は一本道なので、プレイヤーはその場所で展開されるキャラクターの物語をただ傍観する様式に近い。
お店も存在はするが、「武器屋」「宿屋」「道具屋」など過去のシリーズ作品や、他の既存RPGにあった、「お店個々に建物があり、そこで買い物をする」ようなものではなく、要所要所で小さな端末が存在し、それが一括して「お店」の要素を担当している。
現代人なら実店舗に行かず、パソコンやスマホの画面から買い物をする機会が多いだろう。今作はゲームの中で、現代人の買い物スタイルを再現しているに近い。
現実では便利だなぁと、その恵みを享受できるのだが、ゲームではこの要素が「没入感」というプレイヤーが重んじる「非現実の楽しみ」を阻害しているのかもしれない。
電車で一本で移動ができ、遠くの相手ともすぐに話ができたり、実際の世の中は非常に便利に発展はしたが、時にその便利さとはかけ離れた手間が愛おしく感じてしまうこともある。今作でのこの挑戦的な要素は、この感覚に近いだろう。
以上、私が考えるファイナルファンタジー13の抱える三要素の考察である。
ファイナルファンタジーの背負う重責はとてつもないものがあるし、毎度新作が出るたびにシステムがガラッと変わるのも特徴の一つだ。
似ているようでも、分解すると全く同じシステムを扱っているファイナルファンタジーは、もしかしたら無いのではないだろうか。
故に、各シリーズ作品でもファンの意見は大きく分かれ、それぞれが「ファイナルファンタジーの正解」を持っている。
しかし、今作は指先一つで戦略を切り替える「オプティマ」や相手の防御を崩し、大ダメージを与える「チェーン」と「ブレイク」など、画期的な要素はいくつもあるし、分かってくるとこれがとても面白い。
↑これが「オプティマ」。
画像だけではわかりにくいので、詳しくは動画などを参考にしてほしい。
爽快感もあり、このシステムは評価されている点だろう。
私はこのシステムのほかに、楽曲や、今作の世界観も好きである。
しりすぼみになったが、私のファイナルファンタジーの正解は、だれが何と言おうと
この13なのだ。
ストーリードリブンなゲームなのは確かに難色を示す箇所もあるが、そこだけでダメというには非常にもったいない。
RPGとしてのユーザーの没入感を廃し、傍観する立場としての見方を強めてしまったのも、また事実。
ビッグタイトルの看板や立場もあるが、次のファイナルファンタジーがどんな挑戦をするのか毎度楽しみになってきた。
13を超える「正解」はあるのだろうか?
それは期待でもあるし、私個人の探求心でもあるのだ。