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駆け出しゲームプランナーの日々を綴ります。

映画『バトル・ロワイアル』を観た話。~いまこの映画を観る理由~

  映画『バトル・ロワイアル』を観ました。

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バトル・ロワイアル

制作・日本

2000年公開 監督・深作欣二

 

原作は高見広春によるホラー小説。

舞台は極東に存在する全体主義国家・大東亜共和国。

国家元首を総統とするこの独裁国家では、毎年全の中学3年生のクラスから50クラスが選ばれ、お互いを最後の一人になるまで殺し合わせる戦闘プログラムが実施されていました。

 以上、原作は日本に酷似した架空の国家を舞台にした内容なのですが、映画は少しちがいまして、

・舞台は大東亜共和国ではなく、詳細は曖昧にしているが架空の「日本」。

・5oクラスではなく、毎年選ばれるのは全国から「1クラス」。

以上のような相違点が実はいくつもあります。

さて、原作のあらすじだけでも相当キツい内容ですが、それを三次元の世界で表現したのですから映画もやはりキツです。

僕も公開当時は小学生で、ビデオかなにかで本作を視聴したのですが、あまりの過激さにトラウマになっていまいました。

銃声、断末魔、血しぶき、そして昨日まで友達だった人達がお互いを殺しあう。

残酷描写に耐性が無かったことと、友達との関係は楽しいものとばかり考えていた小学生には、思春期の少年少女が「生」に必死にしがみつく姿は、まさに「狂気」で、そこから本日までずっと観れずにいました。

でもそれから少しして、子供たちのヒーローも殺し合いを始めました。

そう、『仮面ライダー龍騎』です。

放映当時は友達の中でもブームで、いま思えばあれは「人間が仮面を被って殺しあう」ある種、人間の内側に潜む欲望を描いた番組でした。

あの純粋無垢だった時から10年以上が経過し、改めて過去のトラウマとの対峙も込めて、本日、映画『バトル・ロワイアル』を観たわけです。

改めて観ても、やっぱりキツい。リアルが故に、若者が阿鼻叫喚し、凶器を振り回し死んでいく場面は目を覆いたくなります。

しかし、なんで体験したことのない「思春期の戦争」をここまでリアルに感じてしまうのか。

それは監督の深作欣二が太平洋戦争を経験した世代だったからです。

当時は今では考えられない状況が私たちの住む日本で行われており、それはまさに原作の舞台・大東亜共和国であり、深作欣二の中の『バトル・ロワイアル』の世界そのものだったのです。国家や大人への不信、常に死と隣り合わせ、隣人すらも信用できない(太平洋戦争当時の日本では「隣組」という隣人同士で監視しあい、反乱分子を憲兵に密告することが行われていた)状況を経験し、原作と深作監督の人生が奇跡のようにマッチングしこの作品が生まれたのです。

 公開当時はその内容から話題になり、「残酷だ」「過激だ」そんな言葉が独り歩きし、社会現象になりました。

でも、この作品で訴えたかったのは、そんな安直なテーマなんでしょうか。

これは私個人の考えなのですが、少なくとも深作監督はただ映画で人を殺していたわけではないと思います。

それは映画の最後に深作監督は『走れ』という言葉を画面いっぱいに写しています。

ただのバイオレンス映画がこんなことをするのでしょうか。

きっと監督はこの作品で「時に障害があっても、人生を悔いなく生きろ」そう伝えたかったのだと思います。

また、「人間は薄皮一枚隔てたケダモノ」だとも受け取れます。

これは大人になったいまだからこそ、「そうなんじゃないかなぁ」と思えるのです。

そして、そのリアルさに背筋がゾッとしてしまいます。

現在では戦争とは無縁の平和な国・日本。

でもこの国の下敷きには、『バトル・ロワイアル』で描かれていた様な過去があったことを忘れてはいけないと思いました。

心身ともにちょこっと成長した今だからこそ、それが「いまこの映画を観る理由」なのです。