Awakenings inthe Midnight.~目覚めは「夜」にも訪れる~
今回も例のごとく最近観た映画の話です。
今回紹介するのはこちら。
1990年公開、ロビン・ウィリアムズとロバート・デ・ニーロの主演。
『レナードの朝』(原題:Awakenings)。
幼少期に発病した病気がもとで、30年間植物状態からの覚醒を果たした青年・レナード(ロバート・デ・ニーロ)と、レナードの入院する精神病院に赴任してきた医師・セイヤー(ロビン・ウィリアムズ)との交流、1969年に実際に起きた、レナードと同じ症状を抱える慢性神経病患者の集団覚醒と、その”夢”のようなひと夏の出来事を描いたノンフィクション作品です。
原題の「Awakenings」は日本語で「覚醒」を意味します。
きっと、邦題の”朝”というのはここからきているのでしょう。
(”朝”という単語は「覚醒」=「目覚め」の間接的な表現にもとれますね)。
この映画、人間同士の交流を描いた感動作にも見えますが、ここでこの作品を分解してみると、この作品を”感動作”たらしめる”見えない背景”が2点あることに気づきました。
以下にまとめてみました。
・レナードが目覚めたのが”朝”ではなく、”夜”であること(邦題は『レナードの”朝”』なのに)。
・物語の季節が”夏”であること。
1.目覚めたのが”朝”ではなく、”夜”であること
まず初めに、レナードは服用していた薬の影響もあったとは思いますが、真夜中に30年の植物状態から覚醒します。
一見すると、レナードが目覚める時間帯は別に朝でもよかったはず。
しかし、ここで目覚める時間帯を夜にすることに意味があるのです。
注目すべきはレナードが”夏の間だけ目覚めていたこと”。
前述に私は「”夢”のようなひと夏の出来事」と書きましたが、これはレナードにとって夢のような時間だったのです。
では、夢を見るのはいつか。それは夜です。
夢は寝ているときに見る一瞬の出来事です。きっと、一瞬の出来事を、短い夏の出来事、そして夢というダブルミーニングとして置き換えることで、観る人により強い印象を潜在的に植え付けているのです。
2.物語の季節が”夏”であること
レナードが目覚めた季節は夏。これも春夏秋冬、四季のいつでもいいのかもしれません。
しかし、これも夏だから意味があるのです。
それは、夏が「生命が最も輝く季節」だからです。
緑は青々と生い茂り、太陽は高く、青空は大きな両手を広げて、すべての生命を照らしています。
レナードは、そんな季節に目覚め、まるで長いこと土の中にいた蝉が、7日間だけその命を輝かせるようなイメージにつながるのです。
あくまで感覚的な問題かもしれませんが、ではこれが春だったら。
”春”は「生命の芽吹き」こそあれど”輝き”ではありません。
”秋”は生命の隆盛がひと段落し、寒い冬へと向かう季節。
”冬”は寒い寒い、生命の幕切れを連想させるので、これも違う。
となると、やはり”夏”が正解なのです。
以上の2つの”感動作たらしめる理由”は劇中ではなんの説明もされません。
あくまで、受け手に生きることの素晴らしさ、レナードの人生賛歌をより印象的に感じ取れる要素として設定されています。
以上の要素を、実際に今作を鑑賞して感じてみることを私は強くオススメします。
そうすることで、作品を観る楽しみ方が、またグッと拡がりますよ。
最後のまとめに、レナードは劇中でいかに人生が素晴らしいかを説いています。
それは30年、遠い場所にいたレナードだから感じることのできた感覚かも知れません。
我々は朝起きて、昼働いて、夜に寝て、また朝起きて...。
そんな生活のサイクルが当たり前になっています。
レナードは、そんな我々こそ死んでいる、そう言っています。
レナードにそう言われてしまうセイヤーは、もしかしたら我々の象徴なのかも知れません。
「生」と「死」。これは全く違う次元にあるようで、実はお互いに混同するカオスな存在でもあります。
一つの物語から、「生きること」、「死ぬこと」の問いかけを今作は我々にしています。
当たり前なんて、実際はないんだよ、と。
レナードの朝は夜でしたが、きっと人間皆、朝はいつでも来るのです。
何か行動を起こすとき、それが朝であり、生命がもっとも輝く瞬間の始まりなのです。